自分のアンラッキーと、態度価値
〈9983〉
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ラッキーな日があれば、アンラッキーな日もありますよね。どちらにせよ過ぎた時間は戻せませんが、「自分のアンラッキーが、どこかのだれかのラッキーになるのなら、それは自分のラッキーなのだ」って。そんなことを思いつきました。
森林公園でのランチは、新緑の中に浮いているようなデッキにて。最後の晩餐ならぬ、最後のポテトの図。最後のポテトを娘に譲った(2012.05.05)
2017.07.07
思わぬことから、半年も入院することになった、住まいてさんの病院までお見舞いに行きました。
フランクルの『それでも人生にイエスと言う』を読み始めました。
態度価値
態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。
病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されている。
フランクルはアウシュビッツという極限の状況の中にあっても、人間らしい尊厳のある態度を取り続けた人がいたことを体験した。
フランクルは人間が最後まで実現しうる価値として態度価値を重視するのである。
デッキに腰壁を造るとき、デザインよりもむしろ大切なのは、腰壁の高さだと考えています。低すぎると危なくなりますが、高すぎると風景との一体感がなくなります。よい腰壁とは、腰壁があることにより一層、風景と一体感が感じられることであると... 。
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