久留里線の踏切で、ぼんやりと列車を待つ
〈9933〉
https://anity.ootaki.info/9933/
心を休めるためには、日常からの距離が必要です。2015年5月の連休前に、房総半島に小旅行したのは、そんな理由からでした。日常からの距離とは物理的な距離で、100km以上になりそうです。今、写真を眺めるだけでも、その時のゆったりした気分が味わえます。これも旅の効用ですね。
日曜日の午前中、横浜市西部での打ち合わせの後、アクアラインで東京湾を横断し、房総半島へ向かいました。千葉県君津市、久留里線の踏切(2017.08.26)
2017.08.26
2015年の私の吉方は「南東」とのこと、
我が家からぴったりと南東の方角にある、房総半島を選びました。
目指すは、房総半島のど真ん中、養老渓谷温泉郷の民宿です。
埼玉の景色に見慣れているから、房総の景色は随分と山並みが低いですね。
久留里線のこの踏切が見えると、車を停めました。
どんな列車がはしっているのか、見たくなったのです。
いつ来るのかわからない列車を、ぼんやりと待つ時間。
そんな豊かな時間は、旅先ならではのものですね。
手元のiPhoneで、時刻表を検索すれば、
列車の通過時刻は、すぐに予想できますが、
そんな野暮なことはしませんでした。
やがて、警報機が鳴り出し、
1両編成の列車は、田舎のバスのようでした。
列車の窓
ぼくは新宿駅の構内に急行列車が止まっていると、
切符もないのに乗り込んでしまう。
濃紺の堅い席に坐ってホームを行きかう人の顔を見ていると、
普段見なれた新宿駅の風景が、
どこか見知らぬ町のように思えてくるのが不思議だ。
それは多分列車の窓のせいで、
列車のガラス窓というのはじつは紙芝居の木枠、
あるいは映画のスクリーンのようなものなのだ。
列車の窓を通して見る風景は、
現実の風景でありつつも、
夢の風景なのである。
嵐山光三郎・ 広田尚敬『ぼくのローカル線』山と溪谷社 1988
急行列車や新幹線に乗るときに、指定券を頼りに行き着く席が、
窓際の席だとちょっと嬉しい。
私はこの歳になっても、ずっと窓から外の景色を眺めています。
とある建築家から、「変化していく、集落や建物の様子を観察せよ」と、
教わったことが、その名残なのかもしれません。
いくつになっても、そんな急行列車での、小さな旅は楽しいものですね。
ただ、急行列車の難点は、目的地に早く到着してしまうこと。
そんな移動時間をもっと楽しめる、急行列車があればと思ってしまいます。
公園の遊具から身を乗り出している、9年前の娘です。あたかも、
自分の「行き先」を楽しみにして、列車に乗っているようでした。
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