『災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候』
〈9736〉
https://anity.ootaki.info/9736/
今から190年前の1828年の冬、71歳の良寛が住んでいた、新潟県で大地震が起こりました。良寛自身には被害はなかったのですが、親友の俳人は家族を失う被害に遭ったそうです。良寛が書いた見舞いの手紙の中に、『災難に逢う時節には災難に逢うがよく候』と、この一文が出てくるのです。良寛は、この一文に何を託したかったのでしょうか。
8年前の2011年3月11日の夜は、この画像のような「月齢6」の上弦の月でした。この画像は木星と並んだ月を、2009年に当麻さんが撮影したものです(2018.03.11)
2018.03.11
私には、随分と厳しい言葉に感じてしまいますが、良寛は、この一文に何を託したかったのでしょうか。
災難に逢うときには、災難に逢うしかない。「遭う」ではなく、「逢う」と書いているのは、なぜなのでしょうか。
『遭う』とは、嫌な事柄に偶然に出会ってしまうことに対し、『逢う』とは、親しい人にめぐりあったときに使う言葉です。
災難に逢う時節には
災難に逢うがよく候(そうろう)
是はこれ災難をのがるゝ
妙法にて候(そうろう)
かにかくに止まらぬものは涙なり
人の見る目も忍ぶばかりに
人一倍繊細な良寛が、痛みを感じないはずはありません。被災の様子を見た後には、こんな歌を詠んだそうです。
『あるがままを受け入れ、その時その時の自分ができることを一生懸命やるしかない』という仏教の教えがあり、この教えに「受け入れるしかない運命をならば、それを受け入れて生きるしかないのだ」という覚悟を感じます。
『受け入れる』とは、「諦める」のような受け身の言葉に感じます。ですが、良寛は『受け入れる』を、この受け身としての意味ではなく、もっと前向きな、もっと主体的な意味を託していると、私は感じるのです。
あの震災から2週間ほど経つと、ひとり狭山丘陵を歩きたくなりました。ユダヤ人の精神分析学者が、自らの強制収容所での体験をつづった、ヴィクトール・フランクル『夜と霧』が、心に思い浮かぶのでした。
だれもその人から苦しみを取り除くことができない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことができない。
この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、ふたつとない何かを成し遂げるたった一度の可能性はあるのだ。
ヴィクトール・E・フランクル (池田香代子訳) 『夜と霧 新版』みすず書房 2002
強制収容所にいたわたしたちにとって、こうしたすべてはけっして現実離れした思弁ではなかった。
わたしたちにとってこのように考える事は、たったひとつ残された頼みの綱だった。
それは、生き延びる見込みなど皆無のときに、わたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ。
ヴィクトール・E・フランクル (池田香代子訳) 『夜と霧 新版』みすず書房 2002
私の名前、雅寛の『寛』の一字は、良寛さんからいただいたそうです。良寛さんにいつか会うときがあったら、その真意を尋ねてみたいのです。
https://anity.ootaki.info/9736/