つり下げリフトに釣られ、自立を思う
〈9540〉
https://anity.ootaki.info/9540/
リフトを前にすると、私はいつも「自立」という言葉が、心に思い浮かびます。いきなりなんですが、「自立」って何ですかね。検索してみると、『自分以外のものの助けなしで、自分の力で物事をやって行くこと」とありました。通常用いられるこの意味が、私にはそのまま飲み込めないでいるからです。
このつり下げリフトで、洗面室から浴室の洗い場、浴槽内への移動を検討しています。入浴を「 生きることの一部である」と考えるのは、大げさですかね(2018.11.19)
2018.11.19
今日は、とある住まいてさんのお宅で、つり下げリフトのデモを、メーカーさんにお願いしました。ついでに私も体験させてもらいました。
まずは入浴用スリングシートを敷き、膝関節を縁に合わせる様に座ります。
このお住まいでは、このつり下げリフトを浴室内に設置して、洗面室から浴室の洗い場、浴槽内への移動を検討しています。
上下は電動で昇降しますが、左右の移動は自分ではできないので、介助者に、背中や肩を押してもらうことになります。
なので、「このつり下げリフトがあれば、一人で入浴できる」、という訳ではなく、常に介助者が必要ではあるのです。なので、
一般に「介助で入浴」といい、「自立で入浴」とはいわないのです。ブランコの様に宙に浮いた時に私は、「自立とは...」と思うのでした。
入浴に限らず、着替えなど日々の暮らしの中の、自分の苦手なことでも、介助者に頼らず、自分の一人の力でやり抜くはできるでしょう。そのことを「自立している」というのでしょうか。
そのために、健常者に比べれば、余分に時間がかかったり、多くの体力を、奪われてしまうのかもしれません。そのことを「自立している」というのでしょうか。
誰かに頼めることは頼み、できるだけ自分の時間を確保し、エネルギーを温存すれば、気持ちに余裕ができるはずです。積極的に外へと出て行ける、前向きな気持ちになれるはずです。
自分がしたいことに優先順位を付け、自分の意思で決定できることこそ、「自立」と呼ぶにふさわしいのだと、住まいてさんから教わりました。
私たちはひとりひとり、それぞれの人生を生きていて、
それぞれの異なった、役割や目的を持っているためなのか、私には、平等である様には見えないのです。
おそらく、だれもが「平等」なことは、ひとつだけだと思います。それは、「だれにとっても1日は、24時間であること」です。
前向きな自立した人生を求めるのなら、障がいがあってもなくても、この24時間を有効に活用することが、欠かせないものだと思うのです。
このリフトを始め、私がバリアフリー住宅に期待していることは、有限である時間を有効に活用でき、大切なエネルギーを使うべき所で使う、前向きな生き方が、より前向きとなる様な、追い風となることです。
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