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1人称としての設計

〈9892〉

さて話は、30年以上も前に遡ります。私が設計事務所に勤務していた20歳頃、私が担当していた建売住宅の分譲会社から、50区画以上もある、分譲予定地の区画図をわたされました。依頼されたのは、それぞれの区画の「参考間取り」をスケッチすることでした。

1人称としての設計

毎朝4時頃に、東向きの机に座ります。10月になると、日の出が遅くなってきましたね。隣りにある本棚の背表紙を眺めながら、投稿する内容を考えています(2017.10.06)

2017.10.06

とはいえ、住むひとが決まっていない「参考間取り」です。

私の拠りどころは、「その土地の良さを見つけること」と、

その隣りに建てられる、建物の予想でした(私がスケッチしているのですが)。


そもそも建売住宅は、「3人称」として、「誰かの家」として、設計されます。

一方、注文住宅は、「2人称」として、「あなたの家」として、設計されます。

ところが今回の計画は、「参考間取り」でしたので、「3人称」ではなく、

「1人称」、「わたしの家」として、スケッチすることが許されました。

「私がここで暮らすのなら、こんな家で暮らしみたい」を、追求できたのです。


日曜日には現地に赴き、そのまま車中で設計する。そんな日曜日が続きました。

それは「仕事」なのですが、私を夢中にさせるものでした。

とある週末の新聞チラシ、建売分譲会社の、その大きなチラシを広げると、

それぞれの区画に、私がスケッチした住宅が並ぶ、私の設計した「街」でした。


ほとんどの区画は、購入者のご希望に沿って、新たに設計をし直しましたが、

それでも、いくつかの間取りは、そのまま建てられるものもありました。

その後、たくさんの住宅が建てられ、工事中に何回も現場に出向き、

図面上での印象と、実際の印象のずれを感じると、それを修正していきました。

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その後も私は、たくさんの人たちから、「住まいの授業」を受けてきました。

その度に、私に欠けている何かを見つけ出し、それを補おうと試みます。

そして、いつからか私は、こんなイメージを持ち始めました。

「住まいも船も、そこに乗り合わせた人たちは、運命共同体なのだ」。

「家族は運命共同体である。住まいを船にたとえよ」。

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例えば、家族ひとりだけが、幸せだったり、

悲しかったりするのではなくて、

それらは、家族全員で共有するものだと思うのです。

それが船であって、飛行機ではないのは、

窓から見える景色は、大きく変化しないからです。


住まいに対する私の関心は、建物のデザインや工法、素材に向くのではなく、

なぜか、暖かさや休息などの、「心のあり方」に向いてしまうのです。

今回も時間切れです。次回(ずいぶんと先になるかもしれませんが)に続きます。

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