家でしかできないことってなんだろう(2017年度版)
〈9806〉
https://anity.ootaki.info/9806/
『みなさん、家でしかできないことって何だと思います?』1987年4月22日。場所は新潟県民会館の大ホール。壇上から住宅作家・宮脇檀(まゆみ)は、私たちにこんな質問を投げかけました。その4ヶ月前に、設計事務所を開設したばかりの、21才の私は考えます。寝るためなら、ホテルでもできる。食べるためなら、レストランがある。物をしまうためなら、倉庫がある... 。ひとつひとつ考えていくと、家でしかできないことって、あるのでしょうか?
2017年の大晦日、あっという間の1年でした。来年もまた、ほんとうの住まいを探求します( 2017.12.31)
2017.12.31
『それはですね!』
『家族が、デレデレすることですよ!』
大ホールの客席の私たちは、「なんだ」と笑いだします。
『みなさん笑いますけど、だって、道路の脇で、どこかの家族が、デレデレってしてたら、気持ち悪いでしょ!』
大ホールの客席が、さらに大きく笑いだす中、私は真剣でした。
自宅でのお茶の間の光景を、幼い頃まで遡(さかのぼ)って、思い返していたからです。
動物は明らかに子供のために巣をつくるという。人間はそれ程単純ではないから、見栄や財産保持のためにも家をつくる。
けれど家というのが何のためにあるのか考えてみれば、疑いも無く、基本的には家族が家族らしくデレデレし合う場所としての、最終的な意味を持つ。それ以外の大部分の行為は家以外の場所で可能である。
宮脇檀建築研究室『宮脇檀の住宅設計ノウハウ』丸善 1987
その後の私の姿勢に、大きな示唆を与えてくれた講演会。この講演会から、24年後の2011年に、時間を進めてみましょうか。
私は家庭を持ち、幼稚園に通う娘と家内の3人で暮らしていました。2011年3月16日、第2グループの我が家は、18時20分からの停電です。
まるで、我が家だけ取り残されたような、ろうそくを灯しての夕食となりました。
東日本大震災から数日後、関東地方では一日に3時間ほど、計画的に停電させることになりました。この「計画停電」は、関東地方を5グループに分け、計画的に順番に停電させていくものでした。
ろうそくの灯の中、私は「住まいの役割」をひとつ、再発見します。
『「安らぎ」という、日常生活そのものを共有できること』
何十枚も書く設計図で、私がチェックしていたのは、この「安らぎ」なのでした。
東日本大震災の後、Mさんのお住まいに訪問しました。その金曜日の14時46分に、上野にいたMさんは、上野からさほど遠くない自宅に帰ることができず、上野の東京文化会館で、一夜を過ごしたそうです。
翌日、やっとの思いで、家に帰れたときの安堵感が、どれほどのものだったかと... 。
「喫粥了」の書、Mさんの作品です。例えば、 朝ごはんを「作って、食べて、片付ける」という、一見当たり前のこと。その当たり前のことを、日々続けることが、修行になる、という意味だそうです。
当たり前のことを続けていくこと... 。私は考えます。この先、どんな「課題」を与えられても、当たり前のことを続けられることこそ、住まいに必要なのだと、私はMさんのお話しを受け止めました。
私は住まいを「船」に、たとえるのが好きです。その理由は、住まいも船も、そこに乗り合わせた人たちは、運命共同体だと思うからです。
例えば、家族ひとりだけが、幸せだったり、悲しかったりするのではなくて、それらは、家族全員で共有するものだと思うのです。
住まいを船にたとえよ。
すみません。時間切れです。
大晦日なのですが、これから、現場に向かいます。
2018年も、住まいについて考えていきます。
みなさま、本年はありがとうございました。
来年も、お付き合いください。
よい、お年を!
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