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大瀧雅寛 ↘

窓と繋がるダイニングテーブルに、家族の思い出がある

〈9795〉

もし、『住宅には、窓をひとつしかつくれない』というのであれば、私はそのひとつの窓を、ダイニングテーブルの脇につくるでしょう。今日はもう、1月11日。お正月なんて、ずいぶんと昔のことのようですが、家族の毎年毎年の思い出は、この「窓と繋がるダイニングテーブル」に、あるような気がするので、私は「定点観測」しています。

窓と繋がるダイニングテーブルに、家族の思い出がある

2006年に撮影した、窓から朝日が差し込むダイニングテーブル。こんな、ささやかな気持ち良さが、最近の住まいでは、切り捨てられている感じがするのです(2018.01.11)

2018.01.11

我が家のダイニングは、東側の道路に面した、北東の小さなスペースです。引越しからひと段落した、2006年に撮影したダイニングと出窓です。

窓と繋がるダイニングテーブルに、家族の思い出がある

「4帖しかないダイニング」の天井高は、215cmと低くしました。「スキップフロア」ならぬ、「スキップ天井」ですね。

天井の高さを、低くしたにもかかわらず、狭く感じさせないのは、窓から朝日が差し込む、この出窓のおかげでもあります。


2006年から、時間を進めてみましょうか。2011年3月16日の夕方です。

2011年3月16日、第2グループの我が家は、18時20分からの停電です。まるで我が家だけが取り残されたような、ろうそくを灯しての夕食でした。

窓と繋がるダイニングテーブルに、家族の思い出がある

東日本大震災から数日後、関東地方では一日に3時間ほど、計画的に停電させることになりました。この「計画停電」は、関東地方を5グループに分け、計画的に順番に停電させていくものでした。

出窓には常に、携帯電話とラジオを置きました。震源地から遠く離れたこの地でさえ、心配な日々が続きましたが、どんな時でも、どこかとつながり、我が家だけではないのだと、思わせてくれる優しさを、この出窓が持っているように感じました。


2011年から、時間を進めてみましょうか。2015年12月24日の夕方です。

我が家でのクリスマスです。

窓と繋がるダイニングテーブルに、家族の思い出がある

天井が低いので、娘でも天井に手が届いたようです。


2015年から、時間を進めてみましょうか。2017年1月1日、元旦です。

窓と繋がるダイニングテーブルに、家族の思い出がある

前年に出窓のブラインドを取り外して、ガラスにかすみフィルムを張りました。

窓と繋がるダイニングテーブルに、家族の思い出がある

2017年元旦、テーブルにお節料理が並びました。左が私の椅子、手前が娘、右が家内の定位置です。


そして、2018年1月1日の元旦です。

窓と繋がるダイニングテーブルに、家族の思い出がある

慌ただしく実感のない年末でしたが、元旦はやはり元旦ですね。2018年の元旦もまた、テーブルにお節料理が並びました。

今年も1年、楽しく過ごせますように。今年はどんな思い出を、「観測」できるのでしょうか。

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