都市とは『一生かけて取り組む仕事を、見つけられる場所』
〈9769〉
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しばしば最後の巨匠と呼ばれ、もちろん私もそう呼ばせてもらっている、アメリカの建築家、ルイス・I・カーン。カーンが「あなたにとって、都市とは何か」と問われたとき、こう答えたそうです。『都市というのは、少年が朝に出かけて行き、帰ってくる時には、彼が一生かけて取り組む仕事を見つけられるような、そんな場所のことだ』。私はなぜなのか、大好きだった河川敷きの公園をご紹介することにします。
河川敷きの公園には、遊具はたくさんありません。なので、子どもたちは譲り合いながら、遊具で遊んでいます。私にはわがままの娘も、一番大好きな回旋塔の前で、友だちと一緒に自分たちの順番を待っています。4年ほど前の2013年12月に撮影(2018.02.06)
2018.02.06
『一生かけて取り組む仕事を、見つけられる場所』
私にはそれは、「トウキョウ」ではないようです。
ふと思い浮かぶのは、毎週欠かさず通っていた、河川敷きの公園でした。公園では、一生かけて取り組む仕事を、見つけられないかもしれません。ですが、生きていく上で大切なことを、見つけることができます。
ロバート・フルガムのいう、「日曜学校の砂場」はそのまま、この公園のようです。
人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持で日々を送ればいいか、
本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。
人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのではなく、日曜学校の砂場に埋まっていたのである。
ロバート・フルガム『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』河出書房新社 2004
第1章には「わたしの生活信条」が、書かれています。
• 何でもみんなで分け合うこと
• ずるをしないこと
• 誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと
• 不思議だなと思う気持ちを大切にすること
そして、釣り合いのとれた生活をすること。毎日少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと...。
これらのことは「幼稚園」での約束であり、「世界」の約束です。
どんな時でも、むしろ自分が辛い時ほど、他者を思う気持ちを忘れないで、これらの約束を守っていけば、『一生かけて取り組む仕事』を、見つけられるかもしれません。
オトナになってしまった私は、日々の仕事の中で、この約束を忘れてしまっていないか、度々この本を読み返します。
いつの頃からか、私はこの約束にひとつ付け加えました。それは、『人と人とを結び合わせること。主役ではなく脇役に徹すること』
住まいてさんに、得意な技を持つ職人を結び合わせることこそ、私の役割なのだと。
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