こどもはオトナの父(The child is father of the man)
〈9743〉
https://anity.ootaki.info/9743/
まるで子どもが描いたような、本当に自由なモザイク壁画です。丸の内の東京會舘のロビーに入ると、すぐに私は目を奪われ近づき、思わず手で触れてしまいました。なんて自由なんだろう。なんて迷っていないのだろう。「私の中の小学生」。子どもの心を持ち続けるとは、こういうことなのですね。
『都市・窓』猪熊弦一郎。描かれたものでなく、白や赤の小さなモザイクタイルが、散りばめられています。東京會舘は現在建て替え工事中です。この壁画はどうなるのでしょうか...(2018.03.04)
2018.03.04
司馬遼太郎から、小学校教師の著者への手紙だそうです。
「こどもはオトナの父」
ふしぎですね。小生は8月で七十という頽齢(たいれい)ですのに、中身にはたっぷり小学生がいます。
「こどもはオトナの父」という英国のたれでしたか、そのように言ったことばを思いだします。
私の中の小学生が、物や事を感じさせてきて、私のなかのオトナが、それを論理化し、修辞を加えてきたに過ぎないのかと思ったりします。
神山育子『こどもはオトナの父―司馬遼太郎の心の手紙』朝日出版社 1999
著者(小学校教師)は、司馬遼太郎の「洪庵のたいまつ」と、 「二十一世紀に生きる君たちへ 」を、授業の教材にしたそうです。
授業を終え、子どもたちの感想を、司馬遼太郎へ送った後、司馬遼太郎から届いた、心温まる手紙です。何度も読み返しました。
「英国のたれ」とは、イギリスの詩人、ウィリアム・ワーズワースのことで、「こどもはオトナの父」は、詩「虹(My Heart Leaps Up)」の中にありました。
「The child is father of the man」
空にかかった虹に自然の偉大さと、それを前にした人間の敬虔な気持ちの大事さを歌う。
The Child is father of the Man は、文字通りには「子どもは大人の父」という意味だが、子どもの頃に抱いた抱負が、その者の大人になったときの姿勢を、きめるということをいいたいのだろう。
ウィリアム・ワーズワースの詩「虹」My Heart Leaps Up を読む。(壺齋散人訳)
もっとも、心にコドモがいなくなっているオトナがたくさんいますが、それはもう、話すにも値いしない人間のヒモノですね。
神山育子『こどもはオトナの父―司馬遼太郎の心の手紙』朝日出版社 1999
「三つ子の魂百まで」と言ってしまうと、少し意味が違うように感じます。子供のころの純真な心を持ち続け、そこから学びとったことは、後に大人になったとき、様々な場面で有形無形に、表れてくるはずです。
https://anity.ootaki.info/9743/