私たちの50年前の思い出と、住まいてさんの未来
〈9727〉
https://anity.ootaki.info/9727/
思い出。思い出というのは、心の中のアルバムにある1枚1枚の写真です。私の日々の仕事、住まいづくりの中で、その写真を思いがけなく見つけることがあります。この3階のバルコニーに立って、ふたつの寝室の上に広がる青空に目をやった時も、そんな時でした。
通学路の交差点に建つ、3階建ての住まい。その交差点から見上げると、3階の部分が後退してバルコニーになっています。10帖の広さがあるバルコニーは、2辺を寝室の外壁で囲われているので、風が通り抜けず、屋外でありながらも、屋内的な雰囲気になりました(2018.03.20)
2018.03.20
幼稚園に入園する前の、思い出だと思うのです。
仕事から帰ってきた父が、夕食を終える。
それを待っていたかのように、畳にあぐらをかき寛ぐ父の両膝に、
私と弟は座りこみ、父の肩へ首へと手をやるのです。
母は『お父さんは疲れているんだから』と、やめるように言い、
『構わないよ』父は言う。そんな場面が、毎晩繰り返されていたのです。
当時、私たちが暮らしていた家は、6帖と4.5帖の和室に、
玄関・便所・台所・浴室があるだけの、古く狭い平屋の家でした。
当時の私たちにとっての父は(父の仕事が大工であるということを、理解していないとは思うのですが...)、
その「古く狭い平屋の茶の間」を敷地として建つ、
1棟の「2階建ての頑丈な家」のようなのでした。
この3階のバルコニーに向かい合う、ふたつの寝室。
このふたつの寝室が、なぜ私に、そんな茶の間での場面を、
思い出させたのか。バルコニーから降りて交差点に出てみると、
その理由が、はっきりとわかりました。
交差点から見上げると、このふたつの寝室は、まるで、
父の両肩につかまっている、幼い頃の私たちのようなのです。
きっと、このお住まいでも来月からは、
そんな場面が、展開されていくのでしょう。
今から50年ほど前、父の左膝にのっていた私は設計を、
父の右膝にのっていた弟が、木工事を受け持ちました。
あと1週間で竣工する、このお住まいには、
私たちの50年前の思い出と、住まいてさんの未来とが同居しているのです。
そんな私の、50年前の思い出を押し付けられて、
住まいてさんは、さぞ迷惑なのかもしれませんが、
住宅を建てるという、設計から施工までの一連の仕事の中で、
私が消したつもりでいる、数々の「下書き」の線は、
その線が古いほど、完全には消せないようなのです。
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