通学路の途中に工事現場と、仕事部屋のガラスドア
〈9709〉
https://anity.ootaki.info/9709/
この4月に竣工したこのお住まいは、小学校への通学路の途中に建っていて、朝に夕にと、子どもたちに見上げられ話題になれるという、幸運に預かりました。見上げる子どもたちを、私は時たま、2階の窓から見下ろす事があって、微笑ましく思いながら、私も同じようなことをしていたなと、思い出した事がありました。
このお住まいの唯一のガラスドアが、玄関のすぐ脇にある仕事部屋への入口です(2018.04.07)
2018.04.07
私の父は普段、住まいから遠い所まで工事に出かけていたのですが、
時たま近所の、それも私の小学校からの帰る道の途中で、
家を建てる工事をすることがあり、だんだんと出来上がっていく家を、
ただ何となく、本当に何となくなのですが、見上げていたのでした。
正直なところ、その父の「家を建てる仕事」を誇りに思うには、
私は幼すぎて、その時は特に何も印象に残りませんでした。
ですが幼い私にも、わかることがありました。
それは、「家を建てる」ということが、父の生業であるということ。
「家を建てる」ことで、住まいてさんから工事代金をいただき、
私は学校へ通ったり、お小遣いをもらい電子工作の本を買ったり、
私たち家族は、こうして夕食を食べ、暮らしていけるということ。
「家を建てる」ということが父の仕事なら、朝に夕にと、
私たちの食事を欠かさず作ることなど、家の中が母の仕事場でした。
このことも当時は、当たり前の事としてしか感じていませんでしたが。
父母の仕事があってこそ、私たち兄弟は「コドモの仕事」ができたのです。
今思うと私の「コドモの仕事」が、勉強する事でなかったことは、
やや残念でしたが、取り分け私が大切にした「仕事」は、
毎日の出来事を、1枚1枚の「写真」を撮るように覚える事と、
その「写真」の良し悪しの判断を、未来のオトナの私に任せる事でした。
3階建てのこの住まいの、1階はご主人の仕事部屋となっています。
なので1階の住宅部分は、玄関室と階段だけなのです。
正面に見える玄関ドアの脇のガラスドアが、仕事部屋と繋がっています。
このお住まいで、唯一のガラスドアが、このドアだけなのです。
なぜこのドアだけを「ガラスドア」にしたのか、メーセージがあるのです。
子どもさんたちがこの先、大きくなって夜遅く帰宅するときにも、
玄関に面したこのガラスドアの、前を通ってから階段を昇っていきます。
その時『おかえりなさい』と、ガラスから溢れてくる光は、
お父さんが仕事をしている事によって、輝いている光です。
そんなガラスから溢れてくる光を、あたり前と見ている子どもさんたちも、
いつか家庭を持ち、その立場となる事でしょう。
そんな時に、この「ガラスから溢れてくる光」を思い出してほしいのです。
このドアにガラスがなければ、中の様子が、まるでわからなくなります。
ガラスドアといえば、そのデザインのみを大切にされそうですが、
私は「ガラスから溢れてくる光」の質に、意味を探したのです。
なので、ドアのデザインは、その思い出にふさわしいものにしました。
https://anity.ootaki.info/9709/