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私の幸せは『誰かが支えてくれている』ということ

〈9697〉

時たま思うのは、誰にでも「実年齢」と『ほんとうの年齢』の、ふたつの年齢があるのでは、ということです。私の「実年齢」の半分にも満たない、なのに『ほんとうの年齢』では、ずっと私よりも年上な、ある看護学生のいう『私の幸せ』という話を、どうしてもみなさまにお話ししたいので、「オオタキラジオ」303回目の記事にしました。

私の幸せは『誰かが支えてくれている』ということ

スパニッシュスタイルの洋館「山手111番館」。ローズガーデンを見下ろすダイニングは、ここで暮らしていた家族を、楽しませていたことでしょう。のみならず、公園から見上げると美しく佇んでいて、公園を散策するひとたちも楽しませているのでした(2018.04.19)

2018.04.19

私の幸せは『誰かが支えてくれている』ということ

その彼女は、『私は、ほんとうに幸せだ』と、よく言うそうです。その理由を訪ねると、彼女は、こんなふうに答えるそうです。

私の幸せは『誰かが支えてくれている』ということ

『だって、家族みんな元気だから。おばあちゃんも、おじいちゃんも元気だし、近くの親戚たちもみんな元気だから... 』

私の幸せは『誰かが支えてくれている』ということ

『そんな、みんなの元気に囲まれて、私は勉強や大好きな事に、思う存分、打ち込めるのだから... 』

私の幸せは『誰かが支えてくれている』ということ

私も毎日、自分が大好きな事をしています。時たま残念な事があるものの、私が大好きなことをできること、ありのままの私でいられること。

そんな、『私の幸せ』を考えてみると、誰かが支えてくれているもののようですね。みなさんも、そう思いませんか?

私の幸せは『誰かが支えてくれている』ということ

そして、この『誰かが支えてくれている』ことに思いが至るとき、私もまた、誰か幸せを支えるべく、『お節介』をしたくなるのです。住まいづくりの仕事が楽しいのは、何かと『お節介』がしやすいからです。

私の幸せは『誰かが支えてくれている』ということ

そして、誰かの幸せを自分の幸せと感じること... 。この思いに至った人を、『ほんとうの年齢』の高い人なのだと、私は感じてしまうのです。

賢治の『農民芸術概論綱要』に、こんな1文があります。

近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい。世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

『農民芸術概論綱要』宮沢賢治

私の幸せは『誰かが支えてくれている』ということ

賢治のいう、『世界がぜんたい幸福』って何だろう... 。

私の幸せ、誰かの幸せ、世界がぜんたい幸せ... 。

さてさて、今日のオオタキラジオも、工務店が日々書くブログとしては、大きな話しになりすぎまして、収拾がつかなくなりました。

ですが、大切なことなので、必ず続編を書きます。さて、時間切れです。これから、遠くの現場まで出かけます。

皆さま、今日はきっといいことがありますよ。お会いした時には、皆さまのいいことを、私にも教えてください。

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