電車の席を譲って思った、前世と未来と
〈9669〉
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以前、新聞の読者の声で、こんな記事を読んだことがありました。投稿したのは高齢の女性でした。いわば「電車で席を譲ってもらう側のお願い」でした。『席を譲ってもらうのは、とても嬉しいのですが、ひとつだけ、お顧いがあるのです』『申し訳ないのですが、譲った後には自分の前には立たずに、少しだけでも離れた場所に立ってもらいたい』というものでした。なぜなら、目の前に立っていられると、目が言う度に『先ほどは、どうも』と、何度もお礼を言うことになるから、という内容でした。
「人にやさしい、みんなと共に進む電車」をコンセプトにした、西武鉄道の新型通勤車両です。この「ロング・クロスシート転換車両」のシートは、90度回転させて、クロスシートにもできるそうです(2018.05.30)
2018.05.30
今日は、都内の住まいてさんのお宅まで、電車での移動になりました。
所沢から池袋へと向かう電車は「ロング・クロスシート転換車両」でした。
肘掛けのある座りやすそうなシートに「ラッキー」とばかりに座りました。
次の駅で停車すると、たくさんの人が乗ってきました。
混雑する車内、私の前には、ひとりの高齢の男性が立ちました。
私が「座りますか?」と声を掛けると、『いいんですか?』と。
私は立ち上がり、男性に席を譲ると、先程の『お願い』のように、
男性の前から、少し離れてドアの脇に立ちました。
そして、数駅先で停車した時、私は何やら気配を感じて、
先程の男性の方を向くと、手招きをして私を呼んでいるようでした。
見ると男性の隣りの席が空き 『ここに座りなさい』という事のようです。
その席に私が座ると、男性は『さっきは、ありがとう』とにっこり。
終点、池袋駅に到着すると、その男性は、もう一度『ありがとう』と言い、
私もまた、嬉しくなって「どういたしまして」という意味ではなく、
「こちらこそ、ありがとう」という意味での、会釈をしたのでした。
「袖振り合うも多生の縁」っていいますよね。
「多生」とは仏教語で、「前世」と言うの意味なのだそうです。
ちょっとした出会いも、前世からの因縁で起きるという意味です。
私を暖かい気持ちにしてくれた、この男性と、私はまたこの先、
出会うチャンスはあるのでしょうか。私は人から良くしてもらうと、
その人の家を「設計」したくなるのですが、それはさておき、
その暖かさの余韻が残っているうちにと、帰宅するとすぐに、
この記事を書き始めました。
2018年5月30日の出来事ですが、もしこの記事を、何十年も先、
次の時代を生きている人たちが、読んだとしたら、
きっと、こう思うことでしょう。
『何で、あえて、こんなこと書いているの?』
『席を譲るなんてことは、あたり前のことでしょ』
『余程、書くネタがなかったのだろうね... 』
私が小学生の頃、夕方、母に頼まれお使いに行った、あの懐かしき商店街。
1970年頃は、そんな時代でした。
2070年頃もまた、そんな優しい時代に、なっているはずです。
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