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賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

〈9655〉

私の多くない友人を思い浮かべた時、いくつかの共通事項がありました。単に共通の趣味があるということだけではなく、お互いの『自分が大切しているもの』の一致です。そして、私に「何か」を教えてくれる人です。そうそう、大滝建築事務所の依頼主であることも、付け加えておきましょう。そんな友人のひとり、オオタキラジオにはすでに度々登場している、当麻さんをご紹介させてください。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

数年前に、古い応接室の玄関ドアを、おそらく昭和の時代から、何にも進歩していないような、「木目調アルミドア」に取り替えました。網戸もセットになっていて、この四角い穴は、外から網戸の鍵を開けるためのものです。ですが当麻さんは、こんな使い方を閃いてしまったようです(2018.06.27)

2018.06.27

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

ここの主人、当麻さんと最初にあったのは、もう30年程前のことです。場所は、今はなき天体望遠鏡ショップでした。というのも私が、その店主の住まいを、建てさせてもらうことになっていたからでした。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

私は初めて、その店を訪れた時、店主が私のことを紹介するや否や、『オオタキさん、私の家も、お願いします』と、当時25才の私が、自己紹介するのも待てないかのように、私は当麻さんから、仕事を依頼されたのでした。

それは、ありがちな「社交辞令」でないことは、自明でした。当麻さんは、そんな「社交辞令」を言うような、風貌には見えなかったのです。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

それから、ほどなくして、私は当麻さんのお宅を訪ね、「大切なリフォーム」を依頼されたのでした。リフォームを終えた後に、奥さんを迎えることになったのです。

当麻さんは37才まで、独身を貫くと決めていたそうです。というのも、宮沢賢治が、37才の若い死を迎えるまで、独身だったことに対する、思いからなのだそうです。

当時の私は25才の独身でしたが、私もまた37才まで、独身を貫くことになるとは、思っていませんでしたが。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

このリフォームは、当麻さんご夫婦に気に入ってもらい、当麻さんから望遠鏡を1台、譲り受けることになりました。

当麻さんは、たまたま、同じ望遠鏡を2台持っていて、そのうちの1台を、私にプレゼントしてくれるというのです。

同じ望遠鏡とはいえ、1台は新品同様、もう1台は、いくつもキズがついてしまった、使いこまれたものでした。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

当麻さんは私に、「新品同様」の方の望遠鏡を差し出しました。「キズがついている方でいいですよ」と言うと、当麻さんは言うのです。

『このキズには、それぞれの観測での思い出があるから、手放したくないんですよ』

なるほど、天体望遠鏡についてしまったキズは、「ビークマーク( Beak Mark )」なのでした。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

このような「価値観」に、私は初めて出会い、私は感動しました。

時は「バブル時代」。贅沢なもの、新しいものが溢れていました。それとは対局にあるものこそ、当麻さんが大切にしたものなのでした。

その舞台となった、この離れの応接室に、30年経った今も、私は訪ねているのですね。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

話は変わりますが、みなさま、学校でお世話になった恩師を、WEBやSNSで、検索したことがありますか?

当麻さんと一緒に、「ワタシカラノキョリ」をつくりました。おそらく、「当麻喜明」の名前で検索したのでしょう。

ワタシカラノキョリ」のコメント欄は、当麻さんとの再会を喜ぶ、教え子たちのコメントが、たくさん書き込まれるのでした。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

定年退職したものの当麻さんは、中学校の「化学の先生」でした。宮沢賢治が、岩手県立花巻農学校の先生だったことが、この「化学の先生」の職を選んだ理由なのだそうです。

ですが当麻さんが、とうとうと、賢治を語ることはありません。(いつか、このあたりの話を、記事にする必要がありそうです)

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

数年前、当麻さんがFacebookを始めると、ここでも同様に、当麻さんのページは、たくさんの教え子さんたちで、賑わっています。

私も何人か、当麻さんの教え子さんと会ったことがあります。そのうちのひとりが、『当麻先生がなぜ愛されているのか』を、私にそっと、教えてくれました。こんな話です。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

昭和生まれの方なら、ご存知だと思うのですが、「チョコボール」という、森永のお菓子がありました(今でもあります!)。

中にはビー玉ほどの、「チョコボール」が入っているのですが、

その「甘い卵」を取り出すためには、箱の上面にある、黄色の嘴(くちばし)のような、「ふた」を立てるのです。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

クラスの中で何かを決める時、「多数決」をとりますよね。普通、「多数決」をとる時は、挙手しますが、当麻さんが担任のクラスは、違うそうなのです。

「多数決」をとる時、当麻先生は、おもむろに、かごの中から「チョコボール」の空き箱を取り出し、生徒ひとりひとりに配り、そして、当麻先生は言うのだそうです。

『みなさん、賛成の人は、黄色のくちばしを立ててください』


そんな当麻さんが、私には、宮沢賢治に見えるのです。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

どの図書館に行っても、私は必ず、賢治のコーナーに行きます。すると、賢治が自ら書いたものだけでなく、「賢治とはどういう人だったのか」という本が、たくさんあります。

私にとって賢治とは、書かれているような、偉い『賢治先生』ではなく、賢治とはおそらく、目の前にいる当麻さんのような人だったと思うのです。

賢治と巣箱とチョコボールと、当麻さんと

いつも当麻さんは、私に「宿題」を出してくれます。このDVDの中に、オオタキラジオの「甘い卵」が入っているのです。

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