『みなさまも、いつ障害者になるのか、わかりませんので...』
〈9634〉
https://anity.ootaki.info/9634/
違和感をずっと感じていた、とある「バリアフリー研修会」での、最後のまとめの言葉です。おそらく、このまとめの発言をされた方は、自身を「障害者ではなく健常者」であると自認していて、会場の参加者もまた、「障害者ではなく健常者」であるだろうと、思ったからの言葉でしょう。私が会場を一番先に後にしたのは、一人になって、すぐにこの「違和感」の正体を、まとめておきたいからでした。
2018年の夏休みは、松本城を訪ねました。現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。黒と白のコントラストがお堀にも写り込み美しかったです(2018.08.23)
2018.08.23
このテーマは深いものであり、おそらくこの記事一つでまとまらないでしょう。ですので、私の結論を先に書きます。
昨年(2017年)の9月に、次のような記事を書きました。
「障害者」と「健常者」とを分かつもの、とは何なのか、以前、バリアフリー情報誌の編集長から、聞いた話を引用しました。
『タバコに吸うときには、「マッチ」よりも「ライター」が便利だが、
戦後、ライターが普及したのは、傷痍軍人が片手で点火できたから。
体の機能を補うという点では、メガネも車いすも同じなのに、
メガネをしている人を障害者とはいわずに、
なぜ、車いすに乗っている人を障害者というのか。
「障害」の定義は、その人にあるのではなく、
その人の周りの環境によって、決定されるものでしかない。』
「障害」の定義は、「個人」にではなく、「環境」に属するものであり、絶対的なものでなく、可変的ものであると、編集長からこの話を聞き、私は気づいたのでした。
そもそも「違和感」は、グループワークでも感じたのでした。グループワークは、4人ごとのグループに別れ、グループごとで、与えられた課題を考えて、グループでの意見をまとめるものでした。
「窓辺に立ち外を眺める、寂しげな女の子の後ろ姿」が、描かれているイラストが、それぞれのグループに配られました。司会者からは、次のような課題が出されました。
『この女の子の見て、この女の子がどんな障害を持っているか、みなさん考えてみてください』
それぞれのグループの参加者が、思いを巡らせて、描かれた女の子の、一つ一つの『障害』を想像している中、私は、その課題に対する返答ができませんでした。
なぜなら普段の私は、その人が、どのような障害があるかなど、意識していなくて、まったく関心のないことなのです。私はフリーズしたのですが、同時に、ふと閃いたことがありました。
私の仕事をたくさんの人と出会い、話を聞くことが大切です。今思うと、バリアフリー住宅を造り始めた、25年前は、その住まいてさんの障害について、根掘り葉掘り聞いていました。ですが、最近では、そのようなことはなくなりました。
ですので、一見、私の打ち合わせは、「雑」に見えるかもしれません。では、住まいてさんと打ち合わせで、私が知りたいことは何でしょうか。
それは、その人の歴史、その人の環境など、変えられないこと、変える必要のないことです。そして、『新しい住まいで、何を実現させたいのか』ということです。
私は、住まいてさんを見つめるのではなく、住まいてさんが見据えている、視線の先にあるものを探しているのです。
残念、6時を過ぎました。現場に向かいます。明日は、2組の住まいてさんの引っ越しが重なってしまいました。ここだけの話、それぞれの現場、まだ未完成なのです。
一番書きたかった、この記事のタイトルの、『みなさまも、いつ障害者になるのか、わかりませんので...』については、続編で書きますので、少々お待ちください。
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