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「仕事」の反対が「遊び」なのではない。遊んでいる時間は無駄な時間ではなく、必要な時間である

〈9629〉

ここ数年、仕事も遊びも充実している。と、仕事と遊びを対比する様に書いたが、「仕事」の反対が「遊び」なのだろうか。よくよく考えると「遊び」って何だろう。遊びとは、自己の持つ力を最大限に発揮すること。思いがけない敗北あらかじめ覚悟し、甘受すること。そしてこの教訓を人生に活かすこと。

「仕事」の反対が「遊び」なのではない。遊んでいる時間は無駄な時間ではなく、必要な時間である

#遊びは敵意なしで敵と戦うこと #遊びは自己の持つ力を最大限に発揮すること #敗北あらかじめ覚悟し甘受すること #この教訓を人生に活かすこと

2025.01.15

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

遊びについてフランスの社会学者 ロジェ・カイヨワが書いた、なぜ人間は遊ぶのか、遊びの本質を追究した哲学書。文体が古い(1958年)からなのか、とても読むのが辛い本だ。

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

遊びという言葉がつねに、くつろぎ、リスク、巧妙といった観念をよびおこすことである。

とりわけ、それはかならず、休息あるいは楽しみの雰囲気を伴う。それは、憩わせ、楽しませる。

現実生活における真面目と反対であり(中略)、それは労働とも反対であり、活用された時間ではなく無駄な時間と見なされる。

ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』講談社学術文庫 1990

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

「遊び」は不真面目なものではなく、「遊び」は働かないことでもない。また「遊んでいる時間」は無駄な時間ではなく、必要な時間であること。

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

人間の全ての活動は、実は「遊び」から発している様だ。子どもの頃の遊びは、その後大人となって社会へと出た時に、立ち向かうことになる苦難と、対峙する時にも役立つという・・・

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

たしかに、遊びは勝とうという意欲を前提にしている。禁止行為を守りつつ、自己の持てる力を最大限に発揮しようとするものだ。

しかし、もっとも大事なことは、礼儀において敵に立ちまさり、原則として敵を信頼し、敵意なしに敵と戦うことである。

ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』講談社学術文庫 1990

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

さらにまた、思いがけない敗北、不運、宿命といったものをあらかじめ覚悟し、怒ったり自棄(やけ)になったりせずに、敗北を甘受することである。

ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』講談社学術文庫 1990

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

遊びによって人は、こうした自己抑制の教訓に耳を傾けるようになる。 人間関係、人生の浮沈ぜんたいまで、この教訓を生かそうとするようになる。

ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』講談社学術文庫 1990

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

私の場合、日々の住まいづくりの仕事、人間関係、自分の生き方に至るまで、「遊び」を意図的に組み込むと、いいことがありそうだ。今からでもまだ、間に合いそうだ。


カイヨワは遊びを4つの要素に分類し、どの遊びもこのいずれか、あるいは複数に当てはまるという。

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大瀧雅寛 (おおたきまさひろ)

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