「仕事」の反対が「遊び」なのではない〈9629〉

今年(2018年)の夏は、とても暑く大変でしたが、仕事も遊びも充実していました。私は今、「仕事も遊びも」と、「仕事」と「遊び」を、対比する様に書きましたが、「仕事」の反対が「遊び」なのでしょうか。よくよく考えると「遊び」って何でしょうか。ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」を読みました。何となく実感していた、「遊び」の重要性を、読み進めていくにつれて、再認識させられました。

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

「仕事」は、私の住まいづくりという仕事、我が家での仕事です。一方、「遊び」は、現在進行している電子工作やプログラミング、長野への家族旅行です。長野県松本城のお堀の蓮が綺麗でした(2018.09.02)


「仕事」の反対が「遊び」なのではない

遊びについて、フランスの社会学者、ロジェ・カイヨワが書いた、

なぜ人間は遊ぶのか、遊びの本質を追究した哲学書です。

ただ文体が古い(1958年)からなのか、とても読むのが辛い本でした。

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

遊びという言葉がつねに、くつろぎ、リスク、巧妙といった観念をよびおこすことである。

とりわけ、それはかならず、休息あるいは楽しみの雰囲気を伴う。それは、憩わせ、楽しませる。

現実生活における真面目と反対であり(中略)、それは労働とも反対であり、活用された時間ではなく無駄な時間と見なされる。

ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』講談社学術文庫 1990

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

「遊び」は不真面目なものではなく、「遊び」は働かないことでもない、

また「遊んでいる時間」は、無駄な時間ではなく、必要な時間であること。

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

人間の全ての活動は、実は「遊び」から、発しているようです。

子どもの頃の遊びは、その後、大人となって社会へと出た時に、

立ち向かうことになる苦難と、対峙する時にも役立つそうです。

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

たしかに、遊びは勝とうという意欲を前提にしている。禁止行為を守りつつ、自己の持てる力を最大限に発揮しようとするものだ。

しかし、もっとも大事なことは、礼儀において敵に立ちまさり、原則として敵を信頼し、敵意なしに敵と戦うことである。

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

さらにまた、思いがけない敗北、不運、宿命といったものをあらかじめ覚悟し、怒ったり自棄(やけ)になったりせずに、敗北を甘受することである。

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

遊びによって人は、こうした自己抑制の教訓に耳を傾けるようになる。

人間関係、人生の浮沈ぜんたいまで、この教訓を生かそうとするようになる。

ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』講談社学術文庫 1990

「仕事」の反対が「遊び」なのではない

私の場合、日々の住まいづくりの仕事、人間関係、人生の生き方まで、

「遊び」を意図的に組み込むと、いいことがありそうです。

今からでもまだ、間に合いそうです。


カイヨワは、遊びを4つの要素に分類しています。どの遊びも、

このいずれか、あるいは複数に当てはまるというのです。