『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と〈9492〉

この正月休みほど、書きたくて仕方がない気持ちになったことは、今までありませんでした。先日、久しぶりに会った知人が、「家にいても退屈してしまう」と言っていましたが、私は反対に、とにかく我が家の書斎にひきこもり、テキストを書いていたいのです。書くことにより、ほんとうの住まいを探求したいのです。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

賢治先生の家は、ひとを招く住まい。暖かさを感じながらも、何ともモダンな住まいです(2019.01.15)


『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

ひとつの記事を書くのに、下書きがあっても2時間では足りず、

3時間かけても、記事が書き上がらないことがよくありますが、

まずは記事を、公開(Publish)することを優先しています。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

記事の数は1年半をかけて、ようやく「500」を越しました。

書籍の出版と異なるのは、いつでも過去の記事を加筆修正でき、

古い記事でも、「生きている」状態を保てることです。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

ひとつひとつの住まいで、ひとつひとつの物語に出会い、

私は家族さんたちから、たくさんのことを学んできました。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

ときに設計の話から外れて、家族のありかたとはなんだろう、

自分の人生を、どうやって整理していくかなど、

奥の深いお話しを、聞かせていただくことも多くありました。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

そういった話を、私の心の中にしまっておくだけでなく、

多くのひとに伝えたいという気持ちから、スタートしました。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

『永久の未完成これ完成である』

「農民芸術概論綱要」の中のある、賢治晩年の心情、

賢治の文学と生き方が、象徴されているフレーズです。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

『ほんとうのさいわい』を追求し続けた賢治、

けれども、『ほんとうのさいわい』そのものではなく、

『ほんとうのさいわい』が何なのかを、

問い続ける姿勢こそが大切であるのだと、

私は、この言葉を受け止めています。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

賢治に限らず、私たちはみな、自分の人生を、

「途中で終えてしまう」運命を持っています。

私の場合、毎年毎年、一棟一棟の建物は完成していっても、

バリアフリーの先にある、ほんとうの住まいの探求は、

おそらく、道半ばで終わってしまいそうです。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

『永久の未完成これ完成である』、賢治のこの言葉で、

それでもいいのだと、思える様になりました。

大切なことは、ほんとうの住まいの探求を、

続けていく姿勢、その姿勢そのものなのだと、思うのです。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

『永久の未完成これ完成である』と同じ意味を持つ、

『エネルゲイア』という言葉を、最近知りました。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

たとえどこかに到達したなかったとしても、

そのプロセスの一瞬一瞬が完全であり、

完成されたものであると考えることもできます。

『永久の未完成これ完成である』と『エネルゲイア』と

「なしつつある」ことがすべて、

そのまま「なした」ことになる動き、

これがアリストテレスのいう「エネルゲイア」です。

岸見一郎『老いる勇気 - これからの人生をどう生きるか』PHP研究所 2018