家でしかできないことってなんだろう(2019年4月版)
〈9484〉
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1987年のことです。建築家の講演を聴講するために、私は遠路、新潟県民会館に向かいました。壇上から建築家は、こんな質問を投げ掛けました。『みなさん、家でしかできないことって何だと思います?』
ほんとうの住まいを思う時、いつもこの疑問と向かい合うのです( 2019.04.01)
2019.04.01
4ヶ月前に設計事務所を開設したばかりの、21才の私は考えました。
寝るためならホテルがあるし、食べるためならレストランがある。
物をしまうのなら倉庫があるし、楽しいことなら外の方がたくさんある。
さて、家でしかできないことってあるのかな... 。
『それはですね!』『家族が、デレデレすることですよ!』
客席の私たちは「な〜んだ」と笑いだします。
『みなさん笑いますけど、だって道路の脇で、どこかの家族が... 』
『デレデレってしてたら、気持ち悪いでしょ!』
ホールが大きく湧く中、ひとり私は幼い頃の一場面を思い浮かべました。
私が小学生の頃の昭和40年代後半、家族で出掛けた動物園からの帰り道での思い出です。
駅からの帰り道、家が近づき路地を曲がる、
夕暮れの中に平屋の家が見えた途端、私と弟は我先にと走り出す、
ありふれた場面です。
その走り出したくなる気持ちは、当たり前の様でありながら、不思議な様でもありました。
動物園はとても楽しかった。すぐにまた行きたいと思う一方で、
毎日を過ごしている平凡なこの家を、なぜこんなに愛おしく思うのだろう。
私の「家」に対する原体験となったこの思い出が、
建築家が問い掛けた『家でしかできないこと』と、繋がっている様に思えたのでした。
外に出かけることが楽しいのは、帰って来れる家があってのこと、
家には自分だけの居場所があるのだからと、今の私なら理解することができるのですが。
もうひとつ、『家でしかできないこと』に繋がる思い出があります。
私は25年前、初めて国立障害者リハビリテーションセンターを訪ねました。
その数日前、『母が車いす生活になるので家を建て直したい。
打ち合わせに出向いてほしい』と、友人から依頼されてのことでした。
「車いすで暮らせる住まい」では、どんなことが大切になるのか、私にとっては未知なるものでした。
「バリアフリー」という言葉が、まだ一般的になる前のこと、十分な情報はありませんでした。
住まいてさんと一緒に、車いすでの暮らしに必要なことを考えていきました。
私にとって最初のこの「バリアフリー住宅」は、1995年に竣工しました。
住まいてさんは無事に暮らし始めましたが、私は不安でした。
この住まいが成功だったのか失敗なのか、わからないからでした。
しばらくしてお伺いした時、こんな話を聞かせてもらいました。
社交的な住まいてさんでも、初めは行き慣れていた商店街でさえも行けなかったそうです。
外に出ていく勇気を与えてくれたもの、それは「毎日の暮らし」だったそうです。
『車いすで暮らすこととなっても、そのことに配慮した住まい、
このバリアフリー住宅で、今までと同じ暮らしができた。
当たり前のことが当たり前にできた』、
この自信が「外に出ていく勇気」になったそうです。
この話を聞き、私は嬉しいというよりも驚いたのでした。
振り返ると設計していた1年間、車いすでの生活動作に合わせた、
間取りや寸法、設備などの検討ばかりでした。
「生き方」の視点でなど、考えたことはなかったからでした。
バリアフリー住宅は、居心地の良く安心して暮らせることだけではなく、
住まいてさんに勇気を与えることもできた。
これこそが『家でしかできないこと』、家の役割なのだ。
そんな視点を与えて頂いたのでした。
気づけば30年以上も住まいづくりの仕事をしています。
私にとっての住宅設計とは、単に住宅そのものを設計することではなく、
その住宅が誘起する出来事、物語を設計することなのです。
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