オオタキさんの家の玄関の風景
〈9376〉
https://anity.ootaki.info/9376/
住まいの間取りを考える時に最初に決定することは、その敷地に合わせた「玄関の位置」です。住まいの「外側」から見た玄関の位置、「内側」から見た玄関の位置です。そして、できあがるであろう玄関での「玄関の風景」を、住まいてさんに合うようにしていくのです。
#オオタキさんの家」は、我が家の紹介です。木製玄関ドアからの冷気が気になる季節になると、我が家の玄関室の記事を書きたくなるのかもしれません...( 2019.12.22)
2019.12.22
私が20年前に中古住宅を探していた時、いくつかの物件からこの住まいを選んだ理由は、「玄関の位置」が気に入ったからでした。私がこの先、つくりあげたい家族像に近かったからでした。
夕方、外出先から帰宅する時、「玄関」を目指して帰ってくるので、住まいを外観から見た時に、ひと目でわかる所に、あるべき所に玄関があること。
私にとって玄関は、公と私とを乗り換える「駅」の様な場所です。コルク貼りの床は、いわば「ホーム」なのです。明日の朝は一転、この「ホーム」から仕事に向かうことになります。
なので「ただいま」と靴を脱ぎ、玄関から廊下を通りLDKに向かい、ダイニングテープルの私の定位置に座った時には、玄関の存在を明日の朝まで忘れたいのです。
「住まいの中からは玄関の存在を忘れたい」、「外部から閉じた住まいにしたい」と考えているのです。住まいの空間の中で玄関に対して、私は特別な思いを持っているようです。
では、揃えられていない靴やスニーカーを玄関で見たときにがっかりするかといえば、実はそうでもない。
たとえば、走ってきた歩幅そのままの形に脱ぎ捨てられたスニーカー。
その奥に、笑い転げている家族や仲間がいることが多く、それはそれで悪いものでもない。
つまり玄関の風景は、そこを訪れた人たちが最初に何をしたのかという行動のしるしである。
ぼくは、この玄関の風景が結構お気に入り。その理由のひとつは、この行動をしるしを程よく大切にしている人が多いように見えるからだ。
gofujita notes『 玄関の風景 』
そうなのだと思いました、玄関に対して特別な思いをもつ理由は、そこにもあったのだと気づいたのです。 玄関からLDKに向かう4mほどの廊下歩く時、今見た玄関土間の靴を手がかりにして、先に帰っている家族の一日は、どんな 1日だったのかを、思い浮かべているのです。
そして、ダイニングテープルの私の定位置で、食事をしながら当人から話しを聞き、私が思い浮かべていたものと、答え合わせをするのです。なのでそんなひとときは、明日の仕事のことを忘れたい、「玄関」の潜在を忘れたいのです。
振り返ると、オオタキさんの家の一日一日は、そんな日々の積み重ねです。ちょうど一年前の2018年12月にも、我が家の玄関の記事を書いていました。
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