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ルールを作り込める余地、私たちの役割、私たちの居場所

〈9240〉

小学生時代は学校が終わると毎日が野球だった。1975(昭和50)年頃は、野球をする場所はたくさんあった。何より時代がおおらかだった。給食を食べ終え昼休みになると「今日はどこ球場にしようか」と仲間を募った。それぞれの広場には○○球場と名付け、それぞれの球場には独自ルールがあった。

ルールを作り込める余地、私たちの役割、私たちの居場所

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2025.10.03

ルールを作り込める余地、私たちの役割、私たちの居場所

塀を越え隣家の庭にボールが入ればファール。誰もいない所にボールが飛べば2塁ベースで止まる。そして、年上の者が守るべくルールもあった。常に年上の者は、年下の者を主役にしなければならない。このルールに私が気づいたのは遅かった。私は本当に先輩たちよりも野球がうまいと思っていた。

ルールを作り込める余地、私たちの役割、私たちの居場所

野球は1チーム9人だが小学生の草野球、半分もいればこと足りてしまう。厳密なルールを持ち込まず、必要なルールをその都度作り出していった。今思うと野球そのものも面白かったが、仲間と「ルールを作りあげ守っていくこと」、自分たちが作り込める余地に、私たちは惹きつけられたのだろう。

ルールを作り込める余地、私たちの役割、私たちの居場所

球場の主役は王や長嶋ではなく、私たち自身であった。いつもの仲間がいる、みんなの居場所だった。自分たちがどこにいるのか、何をしているのか、どこに進もうとしているのか迷うことはなかった。2021年にアマチュア無線を再開してみると、無線には野球に通ずる何かがあることに気づいた。

ルールを作り込める余地、私たちの役割、私たちの居場所

「君も私もここには役割がある。ここは私たちの居場所だ」いつからか私の無線仲間の間には、そんな空気ができていった。私はそれを文化と呼びたい。5人足らずで共有している空気・文化を、多くの人たちと共有していきたい。そのための方法を考えだし、未完成だとしても実行していきたいと。

ルールを作り込める余地、私たちの役割、私たちの居場所

最後に野球をしたのは小学生までだった。その後今に至るまでしていない。だが野球や遊びから培った文化は、今でも私の中心にあると思う。ルールを作りあげ守っていくこと、私たちの役割、私たちの居場所に、今の私は満たされている。趣味のアマチュア無線の中にも、住まいづくりの仕事の中にも。もちろん家族にも。

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大瀧雅寛 (おおたきまさひろ)

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